【 06年11月12日 】怒る定義

人の上に立った時、「怒る」という感情を出さなければいけないことがある。怒る、怒られるということはどのようなことなのか?

まず、「注意」と「怒る」との区別をしっかりしなければいけない。失敗をした人がいるとする。その時に注意するべきか怒るべきか?

その失敗はどのようなことか?それが重要になる。

失敗の原因が、「事実を知らなくて失敗した」「やもうえない理由で行った」ならばそれは「注意」するべきである。注意という意味には「教える」という意味が含まれていると考える。

失敗の原因が、「事実を知っていて失敗した」「努力不足」「忘れていた」「意図的に悪意を行った」等ならばそれは「怒る」べきである。

失敗、落ち度などがある時、怒る立場の人は「注意」か「怒る」のどちらが必要か?を判断しなければいけない。
「怒る」ということは怒られる相手が「怒られて当然だ。」と思っている人に対して行うものだ。「俺がなんで怒られなきゃいけないんだ?」という時は怒ってはいけない。怒る人、怒られる人の両方が納得した時に「怒る」ということが重要である。

注意で済むところを怒ってしまった、逆に怒らなければいけないところを注意で済ましてしまった、等の間違えはお互いの環境を悪くしてしまう。

こんな失敗例がある。ある日、アルバイトが注文用の電話の受話器を投げるように切った。それを目撃した店長は彼を呼びだし「おい!なんて電話の切り方しているんだ!お客様に失礼だろう!」と凄い勢いで怒っていた。アルバイトを見ると、怒られたことに不服そうな顔をしている。後で私が訳を聞くと「いたずら電話でバーカと言われました。」とのこと。

この場合は、受話器の扱いには問題はあるが、怒るべきではない。理由を先に尋ねれば注意または納得で終わったはずである。アルバイトは怒られて当たり前とは思っていなかった訳である。

私が店長をしていた時は怒る時は「殴る」ことも多かった。それは配達中にタバコを吸っていた、シフトを嘘をついてバックた、など意図的に悪さをした時だ。

今でも怒る事が多いが、怒るということはものすごいエネルギーを使う。好きで怒る人はいない。できれば怒りたくないものだが、相手のことを思えば「怒るべきだ。」ということがあるのだ。怒る立場の人がいなければ組織というものは成り立たない。「嫌われたくないから怒れない。」という人もいるが、誰でもそうである。しかし嫌われ者になってでも相手の事、組織の事を考えれば鬼になることが愛情なのである。

怒る事、それは自分の感情を発散させるものではなく、相手の事を思うからこそできるものである。怒る方、も怒られる方も相手がどのような心理状況にあるのかを考えれば結果オーライということだ。