【 07年01月07日 】命がけの正月

2007年も年を明けた。若い頃は正月といえば山に初日の出を見に行っていた。天気が悪くても雲を突き抜け頂上まで出てしまえば絶景な日の出を拝めるのだ。

一番思い出されるのは高校生の時、後輩10数名を連れて奥多摩の山に初日の出を見るために12月31日の午後10時頃から登山を開始したことがある。雨は降らなかったものの、天気は曇りで、凍えるような気温の中、日帰りの予定のため軽めのザックを背負い、頭にはヘッドランプ、防寒着を着こんで山のふもとから登り始めた。午前4時には山頂に登頂し、念願の初日の出を拝む…はずであった。

登り始めは年越の登山ということもありカウントダウンなどしながらの楽しい夜間登山であった。リーダーである私は列の一番最後尾を歩いていた。気温も大分下がってきた午前1時頃、ヘッドランプで見える視界が悪くなってきた。『霧』が出てきたのである。私は内心、「まずいなぁ。」と思っていた。その後、数分間登り続けると先頭を歩くサブリーダーが

「前が見えない!」

と私に届く声で叫び始めた。霧は先ほどよりも濃くなり前進不可能な状態になった。この時は「仕方がない。日の出はあきらめてここで霧が収まるか、日が登るのを待とう。」と楽天的に考えていた。みんなで一カ所に集まり時間が立つのを待っていた。その頃になると霧は、ますます濃くなりヘッドライトや懐中電灯は光が霧に反射してしまってまったく役に立たなくなった。メンバーの顔はおろか、自分の手のひらも見えない状態になった。まさに視界0である。日帰り予定でテントもない。気温は0度以下の氷点下になり、闇と寒さに耐えた

「はっ!まずいぞこれは!」

気が付くと髪の毛、服に水滴となった霧が付き、その水滴が凍り始めているではないか!

暗闇で体を動かすこともできず髪の毛がパリパリに凍りつき、体の芯から冷え始めた。

「このままでは凍死する…。」

みんながその事実に気づき始めた。

女子の誰か一人が泣き始めた。それを皮切りに全員がパニックになり始めた。数人の者は気分が悪くなり吐き気をおぼえてゲーゲー吐いている。暗闇の中、泣き声と吐く音と叫ぶ声で異様な空気であった。人間はパニックになるとこのような状態になるものだと認識した。

どうする、どうする、リーダーである私も責任問題と現実を考えるとパニックになりそうな自分と戦っていた。

「このままでは全員死ぬ。決断しよう。」

平然を装った声で全員に声をかけた。

「大丈夫だって。死にやしないよ。」

自分にも言い聞かせるように声をかけた。

「おーし、全員手をつなげ!」

最後尾にいた私は手探りで列の先頭までたどり着いた。そして先頭にいたサブリーダーと手をつなぎ、

「全員つないだかー!」

「はい、つなぎました…。」全員が心細い声で順番に返事をした。

「今から少しづつ手探りで山頂目指すから手を離すなよ!」

暗闇で山を登るのは自殺行為であるが動いていれば凍死は防げる。気分も紛れる。行くしかない。

「そうは言ったものの、手探りで登れるのであろうか?」不安な自分を殺して、手探りで登り始めた。片手は、つないでいるので両手は使えない。片手と両足で一歩ずつ確認しながら進んだ。ある程度コースは頭に入っている。行けると思った。

「うわっ!」と言うような声以外、誰もが無言で前に進んだ。ほとんど感で道を見つけて前進した。時には崖から落ちそうになったり、つまずくこともしばしば。

「もうだめかもしれない。」という心の弱さも顔を出した。

1時間も立つと体も温まり、目と手足が順応してきたことに気づく。手をつないでいる分、ペースは遅いが確実に前進して行った。

そうこうしている内に霧も薄くなり、辺りも明るくなってきた。

「よっしゃーー!」

全員に笑顔が戻った。そこからは頂上目指してペースを上げた。幸いにも道は間違えていなかった。

頂上に着くと太陽はとっくに登っていた。しかしそんなことはどうでも良かった。みんなは他の登山の頂上に着いた時よりも数倍うれしそうな笑顔と涙を見せ、死なずに生きていることを抱き合って喜んだ。

正月そうそう死んでしまう可能性もあったこの登山であったが、原因は私の経験不足と準備不足に他ならない。

しかし、こんな印象深い正月は後にも先にも無いかも知れない。